今日はだらだらぐちです。なぜなら夫の実家に行く日がちかづいているからだから。
まず、初日は親戚とかみんなでご飯食べるらしい。まあそれは我慢する。なぜなら、夫の祖母にかわるクッション役がいるから。しかし次の日、私たちが寿司屋に行くんだったらついて来るとしゅーとめという名の鬼が言う(豆投げて)。さらにぎまいという名のおつむよわいおばさんも(浮輪投げて。まきびし投げて)。
それがいやなら寿司は食べれんようだ。なんで私らだけじゃだめなんかね。私らだけで行けばいいじゃん。意味がわからん。金魚のふんのようにつきまとうな。地元なんだからいつだって行けるだろうよ。
「ココカラちょっと論調かわる」
今住んでいる家は私の実家からすぐのところにあり、夫も私の実家で夕食食べることも多い。だから私も我慢すべきところは我慢しないといけないとは日頃から思っている。が、こっちが「ここまでなら我慢できる」ラインを徐々に緩くしていくとあのばばあすべてが許されると勘違いしやがって今までの自分の非道が許されたと勘違いしやがって
「いつのまにか論調もどる」
しゅうとめという名の鬼に友達がいるのが不思議でならんのだけど、毎回「うち(自分とその子供たち)は太らない体質だから」て言うんよね。それってその場にいる自分たち以外のひとに対して「あんたたちデブ」て言ってるようなもんじゃないん?(まあ実際まわりのひとにデブとか言ってるんだけど。)失礼で不愉快。そしてその発言を横で黙って聞いているぎまいは私より太いんじゃないかと思われる脚をしている。黙って聞いていることがふてぶてしい。否定しろ。「私は食べたら太ります。いえ、たべなくても太ります。証拠はこの太もも」とか言え。しゅうとめという(略)は痩せていることだけが自慢のおばあさんだが、年とってにくがついてないのは貧相だといつか教えてやりたい(願望)。真の美しさがわかっていない。美しさにある程度にくは必要。60年生きてきてそれがわからないてはなんてかわいそうなひとなんだ。
と文句を言っていたらしゅうとめから、寿司にはいっしょに行かない、自分たちは佐賀牛に行く、というメールがきた。最初からそうしてくれ。なんだかけちがついてしまってせっかくの寿司がどうでもよくなった。げんかいなだの新鮮なさかなが・・・。
しゅうとめが毎回ぎまいの旦那(ぎまいより4、5歳年上)の年齢についてぐちぐち言うのも聞いてて不愉快。まるで犯罪者扱い。でも見た目まったく年の差夫婦にはみえんし、どちらも30すぎたおじさんおばさん。まったく違法性なしと言いたい。そのあと私が夫より1学年上なことにも触れるのがお決まりのパターンだが残念ながら夫は私よりふけて見える(これは事実だからしかたがない)。
面白い話だけ、何回も話してくれ!(と言いながら私は面白くないぐちを毎回書いている)
クッション叔父はそこらへんがわかっていて、フォローにまわっているが、言い方が優しすぎて空気読めないしゅうとめはまったく気づいていない。その子供たちもたいがい空気が読めないのでまったく気づいていない。空気読めないのは、時として精神的暴力。